無職になった話

さて、お久しぶりです。元看護師、無職になりました。

刑期刑期とカウントダウンしていた時期も終わり、4月も下旬に差し掛かります。

引っ越しや退職後の社会的な手続きを終え、ようやく自由な時間を手に入れました。自由な時間。仕事ややらなければならないことに縛られず、起きる時間も寝る時間も、食事の時間も自由に決められる、自由な日々。

 

持て余してます。正直。

 

7月ごろまでの無職期間を自由に過ごせるよう、年齢の割には貯金を頑張って準備してきた。新居自体やそこで使う家具、なかなかに贅沢なものを買い揃えた。

退職金も振り込まれ、いよいよ後は貯金を削っていく日々。

 

不安がものすごい。無職前にはしたいことがたくさんあったはずなのに。

もちろん仕事関係で何もしていないわけでは無い。転職サイトを活用し、数日後には面接予定。その後も数件転職活動での予定がある。

・・・誰に見栄を張っているんだろう。

 

やり込んでいたソシャゲ、時間がある今なら容易く上位ランカーにもなれるだろう。しかし現実は今LPを漏らしてしまっている事態。まあ推しイベでないということもあるが、きっと推しイベでもボーダーを気にしチマチマ課金手前程度に走るくらいであろう。

 

やりたいこと、メモなりしておけばよかったかな。

無職に憧れる自称社畜の皆さま、無職から言えるのは一つ。

無職になった時にやりたいことはメモしておくべきです。以上。

 

思いつくままに見逃していたアニメを一気見したり、気になっていた漫画を買って読み込んだり、買ったまま読めてなかった同人誌を読みきったり。

課題らしく、細やかなやりたいことをこなしてはみたが、どこかで気になる今後のこと。

 

周囲はせっかくの今を楽しめ、と言われ、楽しんでいるフリはできているはず。

 

自覚する。私はお金が大好きで、嫌々とはいえ労働し賃金を得ることでなんとか自分の生きる価値を見出していたのだと。そして趣味で承認欲求を満たしていたし、承認欲求のために趣味を頑張っていた。

 

普通に生きるだけでも貯金は無くなっていくだろう。なんだか不安だ。

ここにしか吐き出せないので話すが、なるべくお金を使いたくないという思いが消せずせっかくの都会暮らしを楽しめていない。

数日後、友人と遊ぶ時には好きに浪費しようと思うが。

することがないというのは嘘で、履歴書を読み返すとか就活準備を詰めるとか、あると思う。

締め切りが明確であれば動くんだろうが、それもないとなると人は本当に何もしなくなる。私だけなのだろうか?

 

いつもの記事以上に締まりが無いが、これも私のブログなので自由にさせていただく。

なんだかんだ実は楽しめているのかも。いやこれは強がりか。

オタク生活と疲労の話

 非オタからしてみたら、熱中できる趣味があるオタクは羨ましい存在だという話は時々耳にする。事実、言われたこともある。羨ましいの後ろに(笑)が付いていたかもしれないが。

 

小学校高学年くらいから順調にオタクになった私には、それまで何に熱中していたのかまるで思い出せない。オタク活動やBL、二次創作なんてのは私に最適な趣味だった。だった。

ちゃおやジャンプコミックスの発売日には書店に自転車を走らせ、キャラクターの誕生日や語尾の『ッ』の数を数えるほど読み込みながら次巻を待つ。気に入ったシーンは模写した。付箋を貼ることもあった。学校ではオタク友達と語り合いもした。

覚えたてのパソコンで〇〇サーチなどから創作サイトを漁ってたし、Pixivが登場し流行った時には毎日登場する綺麗な絵に感動しっぱなしだった。

自分で描くことも本格化し、親にテストの点数の条件をつけてもらい無事にペンタブレットをゲットしてからはピクシアと毎日向き合って描き殴った。Pixivでの評価はめちゃくちゃ嬉しかったし、同年代の神絵師にはメンタルをボコボコにされた。それを含めても楽しかった。

なんだかんだ高校生。ツイッターを始め、イラスト投稿もツイッターでし始めた。ふぁぼと共にフォロワーも増え、みんなでイラストができる過程を投稿し、励まし合い完成を楽しみにした。

クラスでひっそりしていたオタク話は、ツイッターでは思いのまま。オタク話しかしないけどそれでも許される。だんだん仲良くなっていくフォロワーとのリプライのやりとりはとても面白かった。

もともと個人サイトでも写メ日記などを覗くことも好きだった私は、フォロワーの日常生活が個人サイトを介さず手軽に見られるツイッターは神サービスだったし、性に合っていた。

イラストを描くよりツイッターを見ることが増えてきて、そのうちに社会人。2年くらい前からはコスプレをし始めた。気に入らない自分の顔面の造形はともかく、そんな自分にも『いいね』をくれる人たちが居るもので。純粋に承認欲求が満たされることへの依存心と、仲良くなったレイヤー仲間との交流が楽しくて結局今まで続いている。

 

さて、もうすぐ2●歳。

先日をもって詳細が明確になっているコスプレ予定が終わった。予定として残っているものも2ヶ月先くらいのものでおよそ月1で2件の予定だ。

先日発覚したが、同い年くらいかと思っていたフォロワーが思ったより年上で、年齢的にもうやめといた方が良いかという考えが薄れたり。純粋に楽しかったので、もっとコスして遊びたいなぁと思ってしまったり。

ただ、同時にコスプレじゃなくてもともとやっていたお絵かきを再開したいと思ったり。コスプレ程年齢も気にならないし。

同人誌描いてそのキャラのコスしてスペース居てたら1番良いのにね。

 

こんな風な考えはあっても、なんだか疲れが全てに勝ってしまう。もともと人との交流など向いていないのだろう。

小、中学生の頃の、閉じた世界で楽しんでいたオタク生活が自分には1番合っていたんだろう。

単行本は入手した日が自分にとっての発売日で。課金をしない、グッズを買わない人はそのジャンルのオタクでは無いと言われない世界。

 

最近、趣味って無いような気もしてくる。

なんだろう、ツイッターくらいかな?

もともとする気はないしおそらく私は結婚できないが、結婚し始める同世代を尻目に人に洗いざらいは言えない趣味を味わって20代を過ごすのだろうか。

年齢で決める世間に嫌気がさすのか、年齢から疲れが出やすく趣味に没頭しにくくなっているのか、単に仕事やら趣味以外の疲れが趣味に影響してしまうのか。

 

もう数回出勤すると、私の刑期と呼ぶ期間が終わり、2ヶ月ほど自由になる予定だ。

でもその自由が近づくにつれ焦りが出てくるのがわかる。

自分の人生を決めるには、今の私は疲れすぎている。

刑期が縮むにつれ喜んでいたが、最近は不変を望みつつ日々をすり減らしていってる。

 

私が欲しかった自由は何なのか。

それを考える自由な時間がほしい。

 

ゆっくり休んでいるであろう半月後、私は純粋にオタク生活をエンジョイできているだろうか。

そもそも、みんなはこんな風に疲れたりはしないのだろうか。

今の仕事の話

9月になった。ということは今年度いっぱいで退職する私にとって、刑期はあと7か月。

消化するべき有給は20数日残ってたかな?まあそんな話は置いといて、7か月。

刑期3年から始まったので、今思えば随分縮んだなぁとは思う。でもやはり月日が経っても”辞めたい”の思いは消えない。膨らむばかりだ。

 

自分の考えを日記等に書くことで頭の中で考え続けなくなり、思考も明るくなる。という話はよく聞く、ので、この出勤を控えた午前中にちょっとまとめてみようと思う。

なぜ私は今の仕事が嫌なのか。

①業務が多い

 始業1時間前から出勤し、患者の情報収集から始まる。ベテランやマイペースな人は始業30分前くらいに来るが、余程マイペースな人を除き5年目くらいまでの人は1時間前には来ている。患者の病態や既往、本日行う処置、気を付けるべき点や観察項目の把握に抜けがあってはならない。ベテランはそれを見極めるのが早いので30分もあれば情報収集を終えてしまえる。でも新人はそうはいかない。(実際、始業30分前に来るマイペースな同期は業務の抜けが目立つ。私がこの同期をよく思ってないので、悪い点ばっかり見てしまうだけなのかもしれないけど。)

 情報収集後は、世間で思われているような看護業務を行っていく。患者の保清、バイタルサイン測定、点滴交換や傷の処置。まあ病床数が多ければ一人あたりの担当患者数も多いので、これだけで手一杯の午前中もある。

 その後は数値や観察した内容を電子カルテに入力する。患者の状態や傷の程度などは看護記録として記録する。

 観察して気になる点、逸脱箇所があれば主治医や専門の担当者に報告し、指示された処置を行う。入院している人なので、当然逸脱箇所は多い。のでこの処置や対応に時間をとられる。

 さらに、うちの病棟には患者に指導することがたくさんある。インスリン自己注射をして帰る人のために手技の指導。他にも血糖測定なんかの手技の指導や、繰り返しやすい病気に対しては自己管理についての指導もある。この指導は比較的落ち着いた午後に行ってもいいが、指導段階に入る患者は24時間ベッドで寝ているわけでは無いので、タイミングが合わないことも多い。指導を拒否する患者もいるしね。

 もうひとつ、退院や転院手続きのため書類作成。また話し合いにも参加しなくてはならない。話し合いに関しては、その日担当しただけなのに、他の看護師の記録を頼りに入院中の様子を説明しなくてはならない。しかも話し合いの時間帯は向こうが提示してくるので、その時間が忙しくても参加しなければならない。地獄か?

時々そんなこと聞くの?ということを聞く施設スタッフ、ケアマネや家族もいる。いや気になるなら自分で見に来るなりしろよ、と思う。正直。

 書類作成のほか、退院決定した場合は退院準備もする。主治医が退院後に飲む薬を処方するが、再診日と薬の量が合わないこともある。それは医師に依頼して再処方してもらう。もしそこの確認ができていなければ退院時に担当した看護師は誰を怒るか。→退院準備をした看護師である。おかしくね?まあ実際自分の手間が増えて腹立つのはわかるし私も気を付けるけど。新人の頃からこの”おかしくね?”が抜けない。

 

 あっ忘れてた。いや実際の業務中は忘れたい存在。臨時入院対応。

これはその日の担当患者の重さから振られた当番の人が対応することになっているけど。けど。あきらかに新人から4年目くらいに振られているよね。まあベテランはその分重症患者やらついてるし、病棟内で急変があったら頼れるからある程度お暇がないと困るのも事実だし、割と手伝ってくれるけど。

臨時入院だから仕方ないよ、でも上記業務に飛び入りで患者が増えると発狂したくなる気持ちもわかってほしい。

 これらの業務をしていると休憩時間を削っても8時間勤務では終わるわけがない。12時間近く仕事をする。医者ほどではないといえど体も頭も使うが、給料はそうそういいわけでもないし。こうやって書いてると転職意欲が増すばかりじゃないか。

 

②(精神的なことも含め)拘束時間が長い

 業務での拘束時間の長さは上記参照。

それ以外でも長い。帰宅後や休みの日にも退院準備は抜けなく行えていたかとか、自分の担当時間帯では確認できずやむなく次勤務者に依頼した件はどうなったかとか、考えてしまう。これは新人の頃から変わらない。まあさすがに準備の抜けは無くなってきたし、それに伴って考えてしまう時間も減ったけど。

 いきなりの読者への問いかけになりますが、ナースステーションに私服の人が居るのを見たことありませんか?私服の割に他の看護師と仲良さげな。なんかなじんでる感じの。私服で詰所入っちゃダメな病棟もあるみたいですけどね。

 それ、うちの病院では高確率で勉強会に参加している看護師です。自己研鑽とかゆーのを前提に、看護師や栄養士、薬剤師や薬品会社が勉強会を行うんです。参加費無料。参加した分の残業代、時間外料金も無料。は?なら行きませんけど。そういうわけにはいかないんですよね。ハイハイ参加します。でも医師の勉強会は進んで行く。忙しいなかで指導してもらえることには感謝の念がとまらん。実際勉強にもなるし、業務に慣れだして勉強を怠る自分への尻叩きにもなるし。

 こんな感じで業務外にもいろいろ拘束される。

 

③上がクソ

 病床管理がクソ。何を管理してるんですか?病床数に囚われて運営に意気込んでいるのはわかる。経営が危ういところからこの2年くらいですさまじく増益したのは知ってる。けどそれには下の苦労があるのを知ってね。残業するなっていうなら見に来て、業務手伝ってね。定時直前に臨時入院入れといて、残業代取られたくないから早く帰れって何ですか?というか病床管理もかわいそうなのかもしれない。経営担当がクソなのかも。増益にはマンパワーが要るだろうに、業務のキツさから辞める人がたくさん出てきて人が減っている。その中でも増益目指して受け入れ患者数を増やしていったら?業務を増やしていったら?どうなるか考えて入院入れろよな。

皆さんのおかげで今月も黒字です!ってポスター貼ってんじゃねえよその分の金か休暇くれよ。というかポスター貼る時間病棟見に来てくれないかな?どういう状態かは本当に現場に見に来て知ってね。

 

④介護が多い

ナースのおしごと的なドラマに出てくる患者さんなんて実際少ししかいない。たいていは日常生活にお手伝いがいる高齢者が多いし、治療行為より介護が多いんじゃない?って思ってしまうくらい。

介護鬱になる家族が居るけど、じゃあ看護師だってなってしまうとは考えられません?実際ちょっとなってる。みんながみんな大人しく介護を受け入れるわけではないし。なんか命令口調の人もいるし、患者が自分だけのようにあれこれ依頼してくる人もいるし、患者家族にも自分の家族以外いないくらいの勢いで物頼む人いるし。

他ブログの言葉を借りると、姥捨て山のシステムは間違ってなかったんじゃないかな。

私もこんな現場みてて、長寿目指そう☆なんてならない。

排泄介助なんてやられる側もする側も嫌だし。ああ汚いなあ。正直就職してから潔癖気味になってしまった。

 

4点にまとめたけど、これだけではないし思い出すだけきっともっと出てくる。患者家族のクレーム対応とかセクハラとか。

 

ああ^~辞めたいんじゃあ^~

 

本当に看護師を尊敬して希望して就職した人なら別かもしれないし、介護行為含めて上記業務も楽しくできるかもしれない。私は無理です。

家族が入院している人がこんなの読んだら、仕事辞めてください!迷惑です!こんな人に家族を任せられません!ってなるだろう。すみません。

私も辞めたいんです。死なせないように、辞めたいと思っていることがばれないように仕事をしているので許してください。対応が良いと賞状とかもらう程度にはばれていないはずなので。患者にあたるのはとばっちりだとわかっているので、当然害は与えていないので。すみません。

 

書いてみたけど負の感情が止まらない。いやいいところを一つだけ挙げるなら、上司や同期には恵まれているんですよ。いいところはそこだけ。これだけを糧に乗り切らなきゃいけない。

 

あと7か月。今から年度末までの転職先なんて無いし、奨学金的な手続きも手間になるだろうし、就活での傷にしかならない。だから辞められない。

7か月は続く私の苦しみ。たまに苦しみを吐き出す場所としてここを使わせてください。

某商業BLに心を抉られた話

腐女子の皆様こんにちは、腐女子です。

当方もう腐って10年以上なんですが、商業BL自体はほんとに嗜む程度です。

最近はソシャゲやらSNSで見かける二次創作やらでおなかいっぱい。歳かな?

 

ただ、一人のBL漫画家さんの新刊だけは、夜勤前の仮眠時間を削ってでも発売日の内に買いに走ります。

先日本屋に行って、目的無く本棚を眺めてたんですが、最近のBL棚はジャンル別で分けられてるんですね。作品ごとに分けられている棚でもまるでその方だけ作家別で分けられたかのように『コア』の棚にほぼ全巻ありました。わかる。

 

そんな方のある作品が、少し前に上下巻で新装版として発売され、完結しました。

(商品画像やこのへんで作品かわかった上で未読な方、もしくは未読作品はネタバレ踏みたくないって方は続き読まないでくださいね)

いや続編あっても全然いい。でも今後を妄想させてもらえる感じなら私は結末はこれでいい。続編なくても全然いい。私は続編希望しない派。

 

BL漫画って、腐女子はどういう視点で読んでるの?って話題が一時期ありましたが、壁とか天井とかその場の空気とか、とにかく自分は他者なんですよね。というか自分が受けに感情移入してたら夢じゃん?まあそんな楽しみ方もアリですけど。

私も完全に観客として読んでましたが、その作品の攻めにあたる人に心当たりがありすぎる。

そう。好きな人を自分の物にしようとしてた私に。

恋愛に関して、私は計算をしないと気が済まない性分で、とくに両思いになるまでの計算はなかなかに細かかった。今となっては思い出すだけで疲労感がこみ上げるが、当時は生き甲斐のように好きな人の好感度上げに執着した。本当に『手に入れるためならなんでもやった』。

 

某作品は、ざっとしたキャラのプロフィールで言えば何にもコアじゃないBLなんですよね。

不器用に頑張る受けに惹かれた攻めが、数年後に同じ職場にやってくる。もちろん計算。この後受けはいろいろとひどい目に合うのですが、それを攻めに助けられる。頑固で社会では生きづらい性質の受けは、ちゃらちゃらしてるが自分のことを助けた攻めに徐々に心を開き始める。王道のよう。少女マンガかもしれない。

ここまでは普通の?BLですが、コアに分類される作品だということをお忘れなく。

受けにふりかかる様々な事、これ全部攻めが仕組んでました。(はじめてのおつかいナレーション)

上巻は、そんな攻めの行動を受けが知らぬままにちょっといちゃついて終了です。

読者は上巻終盤で驚かされて終わります。この攻めの行動を見抜くキャラ(女装男子)もいるので、上巻終盤から下巻にかけて読者はこの女装男子視点で読んだ人も多いんじゃないかな?と思います。

 

下巻では、後輩キャラが現れたり上巻で悪役扱いだった人が帰ってきたりとありますが、何よりの問題は攻めの完璧だと思った計画が崩れていくこと。受けにも今までの行いがバレてしまいます。

ほんとも~~~勘弁してくれよ。私も自分の作戦がばれたらこうなっちゃう可能性大だったしな。なんか別視点で胸を痛めて下巻読んだ。

自分の物にした筈の受けに拒絶され、もう自分の物にしても意味がなくなっちゃった。

絶望した攻めは長期休暇というかたちでひきこもります。まあ職種が接客業なので、自分の担当客を受けに任せるよ、みたいな形になるのですが。その攻めの常連客がその場にいない攻めを彷彿とさせる。女装男子は気が付いてましたが、いい手段ですよねコレ。まんまとお人よしの受けは様子を見に行ってしまう。

 受けが攻めを説得しているあたりから、攻めは今までの覇気など無くなり、気弱で、受けへの態度も呼び方もよそよそしくなる。結局受けと働いた職場をへにゃへにゃと退職するんですが、女装男子と話したときはいつもの調子に。ここの二人の会話からの攻めの最後のセリフが大好きなのでぜひ読んでほしい。いや味わってほしい。

 

 月日が少し経ち、受けは攻めが独立して店を構えたことを知ります。しかも職場のみんなは知ってて、受けだけが知らなかった。

見に行っちゃうんですよね、受けは。『たぶんあいつ 俺がいないとだめっぽいし』。

ああ羨ましい。私も、これほど目当ての人の心に刻みつけられたらよかったのに。

雑誌に載った攻めのインタビューには受けを思わすようなメッセージがあったりして、女装男子は攻めのもとに行く受けを見送ります。行かないほうがいいとは口に出さず。

そして見送りながら雑誌を読んで、攻めの執着ぶりを気持ち悪がりながらも思います。

『ちょっとうらやましい ちょっとだけ』。

受けが自分の店に来るのを知ってたかのように(きっと知ってたよね)出迎える攻めで物語は終了。後日談みたいなおまけではなんだかんだでぎこちなくもライトに攻めが受けに好意を伝えてたりするんですけどね。

 

いまいち記事タイトル回収できてませんね。します。

時々気味悪く灰色文字を入れていましたが本心です。下巻後半からは私にしては羨ましい限りでした。

私は好きだった同性に告白まがいのことをさせるまでしました。が、彼女の将来を優先しました。彼女は性格こそ難ありでしたが、能力は優秀でしたし。同じように優秀な彼を見つけ幸せに素敵な 人生を送ってほしいと思ったから。素敵で大人な判断だったでしょうか?

実際はもう10年近く経つのに何一つ忘れられず、きっともう非処女の彼女に執着し続けています。連絡先はほぼすべて断ち切りましたが。

記事の初めの方に述べた、私の両思いになるまでの計算というのはこの彼女の為だけに使いました。

別々の高校に通うことになった私は、あなたが居なくても高校生活は充実してますよ、と言わんばかりに友人を活用し、彼女を嫉妬させるなどお手のものでした。そして覚えたてのツイッターやメールで、不安にさせたり優しくしたり、直接会うときはそっけなくしたりなども。こんなのはほんの序盤の技術です。まんまと私のことを好きになってくれました。

ゴールを決めておかないと、私はきっと彼女をどこまでも自分の物にできると思っていました。思い込みかもしれないし、実際できたかもしれない。ついに告白とまではいきませんでしたが、及第点のようなかたちでゴールに届いたので、そこで終了としました。なので、私の物語は終了。

紹介した作品、上下巻の新装版となる前には1巻として上巻だけ発売されて、2年くらい空いてるんですよ。新巻として1巻を買って読んだときは、自分と同じように作戦勝ちする攻めに本当に共感したし、嬉しかった。だからこそ、自分が断ち切った私の物語の続きが読める気がして、それはもう胸が高鳴った。待ってる間の2年間、思い出すだけでわくわくした。私のこの恋愛事情を打ち明けた唯一の腐女子仲間には、もうこの攻めお前じゃ~んwなんて言われましたが、当時はそれすら嬉しかった。

下巻を読んで(実は苦しさのあまり数回本を閉じて休憩を挟みながら読んだ。)、ああ羨ましい、ズルい、やっぱり手放すんじゃなかった。が本心でした。

ただ攻めの不屈の精神には感化された。

ああ悔しい。私が男であったら。もしくは彼女が異性であったら。

いや、性別は関係ないね、性別を言い訳に諦めたことを美談のように語る自分に嫌気がさしてくる。

もう彼女は私が望む彼女ではないので永久にいい思い出として、美談として勝手に残すけど。やっぱり好きな人のために生きてる時っていうのはこの世で唯一といっていいレベルの生を感じられるよね。

今は一人でいるのも楽しい。けどこの作品を読み返す度に胸中掘り起こされるんだろうなあと思う。もう何度も読み返し、なんならコラボバーに行くなどしたくらい(ドエムか?)この作品は大好き。作家さんも好き。生きづらい恋愛しかできない生きづらい性質の私が共感できる作品に出会えるなんて思わなかった。

ありがとうございました。

 

 

最後に

龍来ちゃん最高!大好き!

 

カラーレシピ(上) (ディアプラス・コミックス)

カラーレシピ(上) (ディアプラス・コミックス)

 
カラーレシピ (下) (ディアプラス・コミックス)

カラーレシピ (下) (ディアプラス・コミックス)

 

 

明るくない未来の話

初めまして、こんにちは!

書き出しでわかる方はわかると思いますが、私はオタクです。

長年Twitterを愛用していますが、やはり長年やっていると身内のような方も徐々に増えまして。少々他人には言いづらい、けど誰かにぶつけたい読んでほしいなあと思いブログに残すことにしました。

いつか何かの記事がバズっちゃったら、これ私のブログなの~って呟いちゃうかも。そんなやつです。

 最近、家電製品が壊れはじめました。ドライヤー、テレビ…掃除機も危うい。こういうのは一つ壊れはじめたら連鎖するとは聞きますが、今回はその通りでその理由もなんとなくわかってます。

約10年前、離婚後の母が私と兄に不自由無い暮らしをさせるため家具家電を一新しました。その寿命がきはじめているから、連鎖しているように感じるんでしょうね。

家電製品ひとつひとつを買い直すのはオタクの財布に厳しいなあ、と思いながらアマゾンや近所の店で値段を見ていました。よくよく考えると、母は離婚後の心身ともに疲弊した体に鞭打ち、懐も痛めてくれていたんだなあと。すごいなあと思います。

 

思うだけで。

 

最低かもしれませんが、私は母が好きではないです。父に関しては記憶から消すことが一番の復讐と思っているのでたぶん後述しません。虐待を受けていた人から見たら私の母は問題ない素敵な母に見えるかもしれませんが、やはり私は好きになれません。

そんな母にも寿命がきている気がする。やたらと探し物をしているし、大事なものをなくしかける、もしくはなくす。旅行や出かける際の準備がとても遅く、時間がかかる。礼儀作法にうるさく、私が何かすると横で手際の悪さを指摘するような母は今ではすっかりいなくなってしまった。月日のおかげで丸くなったせいかと思っていたが、違うかもしれない。

50代後半となり、ババアだと自称する母は、ADLではなく認知機能の面で寿命が迫っている気がしてならない。互いに医療関係者の端くれなので、認知症じゃんwと言い笑うこともあったが、もう笑えないよ。

私は現在病棟勤務をしているので、認知症を患った患者と関わる機会も少なくない。そのへんの同世代よりは上手く対応できると自負しているが、それは他者だから。仕事で、給料が発生しているから。

自分の、しかも好きではない親に対し穏やかに対応できるはずがない。

親との会話に、延命措置はしないでほしい。私の介護はしなくていいから、自分の人生を生きてほしい。という話題はよく出ていた。

後者は本当かな。

 

兄には幼稚園からの友が居る。頭の出来や育ち、現在の職種は異なるが、現在でも仲良しだ。幼稚園からということで母親同士も仲良しであり、つい先日も一緒に出かけて楽しんだようです。

そんな兄の友達には姉がいて、少し前に出産した。

そんなママ(旧)友のインスタは初孫の可愛いストーリーで溢れている。母が嬉しそうに、愛おしそうに眺めて時折画面をこちらに見せてくる。いや可愛いのは事実なので何も悪くないんですけど。

 

私にとって人生の目標というのは、お金に苦労せずなんなら経済的に余裕をもってに生きて周りに迷惑をかけずに早死にすること。

素直に書くと、私は学生時代モテた。モテることと愛されることは違うと某王子の言葉があるが、まさしくその通りである。不快でしかなかったので、私は結局一度のお付き合いもしなかった。できなかった。この話もまたいずれ。

とにかくモテた私に対し、母ははやく結婚して可愛い孫がほしいと言っていたが、最近の母は口には出さないもののインスタを見る姿がそれを物語るようだ。

 

もとより介護をする気は無かった私は自分の人生を生きるつもりですが、母の腹の中はどうなのだろうか。孫の顔を見せるのが親孝行という話もあり、私も人間ではあるので一応恩返しをしたいという気持ちも無くは無い。

でも子供は一時の見世物ではない。世に自分と同じように早死にを望む生きづらさに嘆く生き物を産み出したくはない。

 

まとめると、母に長生きされると困るのだ。

これから私が結婚して子供を産むかもしれないのに、親は先に死んじゃってかわいそうに。というのが理想だと思う。親には私が独身のまま死ぬ未来を知られずに終わってほしい。

ただ、認知機能から落ちることはあまり想定していなかった。

長生きされると困るというのも少し違うかもしれない。健康寿命謳歌して生きた上での、わりと早死に、程度の突然死を望んでしまうのです。

この人生、自殺を考えたことは何度もあるし社会人となってからはもはや日常的だ。

それを留めたのは母が「親より先に死ぬのが一番の親不孝」と何度も言っていたからでしょう。何度も言うということはこちらの思いにも気付いていた気もする。

だから、親が死んだら好きな日に自殺するから 先に死んでほしい。

私は刑期と呼んでいる残り7か月ほどのこの就業期間を終え、少し都会で羽を伸ばしてから死ぬつもりだから。