オタク生活と疲労の話
非オタからしてみたら、熱中できる趣味があるオタクは羨ましい存在だという話は時々耳にする。事実、言われたこともある。羨ましいの後ろに(笑)が付いていたかもしれないが。
小学校高学年くらいから順調にオタクになった私には、それまで何に熱中していたのかまるで思い出せない。オタク活動やBL、二次創作なんてのは私に最適な趣味だった。だった。
ちゃおやジャンプコミックスの発売日には書店に自転車を走らせ、キャラクターの誕生日や語尾の『ッ』の数を数えるほど読み込みながら次巻を待つ。気に入ったシーンは模写した。付箋を貼ることもあった。学校ではオタク友達と語り合いもした。
覚えたてのパソコンで〇〇サーチなどから創作サイトを漁ってたし、Pixivが登場し流行った時には毎日登場する綺麗な絵に感動しっぱなしだった。
自分で描くことも本格化し、親にテストの点数の条件をつけてもらい無事にペンタブレットをゲットしてからはピクシアと毎日向き合って描き殴った。Pixivでの評価はめちゃくちゃ嬉しかったし、同年代の神絵師にはメンタルをボコボコにされた。それを含めても楽しかった。
なんだかんだ高校生。ツイッターを始め、イラスト投稿もツイッターでし始めた。ふぁぼと共にフォロワーも増え、みんなでイラストができる過程を投稿し、励まし合い完成を楽しみにした。
クラスでひっそりしていたオタク話は、ツイッターでは思いのまま。オタク話しかしないけどそれでも許される。だんだん仲良くなっていくフォロワーとのリプライのやりとりはとても面白かった。
もともと個人サイトでも写メ日記などを覗くことも好きだった私は、フォロワーの日常生活が個人サイトを介さず手軽に見られるツイッターは神サービスだったし、性に合っていた。
イラストを描くよりツイッターを見ることが増えてきて、そのうちに社会人。2年くらい前からはコスプレをし始めた。気に入らない自分の顔面の造形はともかく、そんな自分にも『いいね』をくれる人たちが居るもので。純粋に承認欲求が満たされることへの依存心と、仲良くなったレイヤー仲間との交流が楽しくて結局今まで続いている。
さて、もうすぐ2●歳。
先日をもって詳細が明確になっているコスプレ予定が終わった。予定として残っているものも2ヶ月先くらいのものでおよそ月1で2件の予定だ。
先日発覚したが、同い年くらいかと思っていたフォロワーが思ったより年上で、年齢的にもうやめといた方が良いかという考えが薄れたり。純粋に楽しかったので、もっとコスして遊びたいなぁと思ってしまったり。
ただ、同時にコスプレじゃなくてもともとやっていたお絵かきを再開したいと思ったり。コスプレ程年齢も気にならないし。
同人誌描いてそのキャラのコスしてスペース居てたら1番良いのにね。
こんな風な考えはあっても、なんだか疲れが全てに勝ってしまう。もともと人との交流など向いていないのだろう。
小、中学生の頃の、閉じた世界で楽しんでいたオタク生活が自分には1番合っていたんだろう。
単行本は入手した日が自分にとっての発売日で。課金をしない、グッズを買わない人はそのジャンルのオタクでは無いと言われない世界。
最近、趣味って無いような気もしてくる。
なんだろう、ツイッターくらいかな?
もともとする気はないしおそらく私は結婚できないが、結婚し始める同世代を尻目に人に洗いざらいは言えない趣味を味わって20代を過ごすのだろうか。
年齢で決める世間に嫌気がさすのか、年齢から疲れが出やすく趣味に没頭しにくくなっているのか、単に仕事やら趣味以外の疲れが趣味に影響してしまうのか。
もう数回出勤すると、私の刑期と呼ぶ期間が終わり、2ヶ月ほど自由になる予定だ。
でもその自由が近づくにつれ焦りが出てくるのがわかる。
自分の人生を決めるには、今の私は疲れすぎている。
刑期が縮むにつれ喜んでいたが、最近は不変を望みつつ日々をすり減らしていってる。
私が欲しかった自由は何なのか。
それを考える自由な時間がほしい。
ゆっくり休んでいるであろう半月後、私は純粋にオタク生活をエンジョイできているだろうか。
そもそも、みんなはこんな風に疲れたりはしないのだろうか。